震災遺構

震災時の取り組み

1. 地震発生津波来襲

平成23年3月11日14時46分マグニチュード9.0の地震が発生。
発災37分後、仙台空港から防災ヘリ「みちのく号」を緊急発進しました。
そのわずか数分後に、仙台空港は津波にのみ込まれ、まさに間一髪。
その後、防災ヘリ「みちのく号」から送られてくる被災や津波のライブ映像は、今後の対策の早期判断の材料になりました。

津波来襲

宮城県の栗原市で震度7、宮城・福島・茨城・栃木県で震度6強という地震が、東北地方を中心に東日本を襲った。地震の規模はマグニチュード9.0で、国内の観測史上最大規模だった。
東日本大震災は、本震を含め4つの大規模地震が断続して発生した連動型。本震後40分の間にマグニチュード7.0以上の地震が三陸沖から茨城県沖にかけて発生した。
余震も多発し、1ヵ月間でマグニチュード5.0以上の余震が400回以上発生。震源域は、岩手県沖から茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの広範囲に及んだ。

2. 啓開

発災翌日から、とにかく車が通れるだけのルートを切り啓く「道路啓開」(「くしの歯」作戦)を実行しました。
余震や津波の再襲来の危険がある中、建設会社の現場責任者と道路管理者は、使命感と地域を思いやる心から啓開作業を決意し、啓開作業にあたりました。
さらに、ご遺体の措置に当たった自衛隊、警察、県市町村の関係機関との連携により早期に道路啓開を完了できました。

啓開

「くしの歯作戦」とは、内陸部を南北に貫く東北自動車道と国道4号から、「くしの歯」のように沿岸部に伸びる何本もの国道を、救命・救援ルート確保に向けて切り開く作戦のこと。
想像を超える巨大津波は、太平洋沿岸の各地に壊滅的な被害をもたらし、がれきや橋の流出で沿岸部の各地を孤立させた。地震発生直後、国土交通省 東北地方整備局の災害対策室には、幹部や職員が続々と集結。
道路関係事務所や出張所と連絡を取り、被害確認と対策立案を急いだ。そして、直ちに、命の道確保に向けてルートを切り開く「くしの歯」作戦を決行した。

3. 被災地支援

発災当日から被災地に派遣されたリエゾン(災害対策現地情報連絡員)は、首長のニーズを詳細に把握し、首長の片腕として、あらゆる物資の調達、調整の橋渡し役も担いました。
『全て任す。とにかく人命最優先に、国の代表と思ってあらゆることをやってくれ』という国土交通大臣の命を受けて、被災地には、市役所の代わりになる仮設ハウス、燃料から日用品、生理用品まで、およそ通常業務を超えた調達でした。

被災地支援

被災した県や市町村に国土交通省の職員を派遣し、連絡員として県や市町村の中で働いた。
リエゾン(災害対策現地情報連絡員)と名付けられた彼らは、自治体のニーズを把握し、さまざまな支援機関との調整を実施。国と県との調整や法律の解釈にたけ、災害対応に追われる自治体職員に成り代わり、市長などの片腕としてサポート。リエゾンは4県と31の市町村、自衛隊に派遣され、3月23日のピーク時には96人に。災害発生直後から6月30日まで、延べにすると3,916人にも達した。

4. 応急復旧

2日目から現地で被災状況調査を開始しました。
そして、災害時の特定である「緊急随意契約」により速やかに工事契約し、地元建設業等の協力により復旧を実施しました。
岩手県陸前高田市の国道45号気仙大橋は、仮橋を120日の予定工期に対して、61日で完成させました。
また、大きな被害を受けた宮城県大崎市の江合川堤防など、内陸部の河川堤防も出水期に入る前に緊急復旧を完了させました。

応急復旧

太平洋沿岸を走る国道45号は、巨大津波によって各所で寸断され、橋桁が流出するなど大きなダメージを受けた。道路啓開が完了した所から応急復旧を進め、橋梁流出箇所も迂回措置や仮橋による対応が展開された。仮橋の延長210.6mとなった気仙大橋(岩手県陸前高田市)も、河川の浚渫作業後に仮橋本体の工事にかかり、わずか61日で完成。7月10日に2車線での交通確保が可能となった。
応急復旧が早かった理由には、震災直後から建設業者が作業に入ったこと、復旧対策に現地での作業方法の検討を活かし、応急組立橋の設置など技術的に工夫できたことなどがある。

震災の取り組みについて
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